『カリスマ的上司』の作り方
人格が優れていればカリスマ的になれるのか
実力が優れていればカリスマ的になれるのか
否、それら要素とカリスマはイコールでは結ばれない。そして「カリスマ」であることが「良いこと」とも一概に言えないものです。
皆さんがイメージするカリスマはどんな人ですか?ここで言う「カリスマ」は身近なカリスマをイメージするといいかもしれません。
いませんか?身近にカリスマ性があると言われる人が。
昔に私にも「カリスマ的存在」を演出し維持することに長けたテクニックを持つ上司が二人ほどいました。
さぁこれから『カリスマ的上司』がどんなものか考えてみましょう!
上司となる人間、部下となる人間には
本質に、命令する側、従う側という立場の違いが前提にあります。
「カリスマ的存在でありたいのか」OR
「腹の内も全て見せ何でも話せる信頼し合った対等な関係でありたいのか」
本人の器量次第ではありますが、どういう上司でありたいのか選ぶことができます。
そしてこの「テクニック」というか「心がけ」というのは『ヤクザ』がカリスマ性を子分や堅気に対して演出する際に心がける基本方法と酷似しています。それは・・・
いかに評価を定めさせないか(とらえどころがない)が大事だと心得ることです。
ミステリアスな部分を残し(カリスマの必須条件)、
相手に大してこちらの思考の底を読ませない、
器を見抜かれないようにするということを心得る。
「この人間の本当の本心や思考は読めない」
→「底が知れない」
→「器が測れない」と
そう相手に思わせるように演出することが大事です。
読めないが故に、人心掌握し、対人において上下関係に白黒つけイニシアチブ(主導権)を握る上で有利となる関係を築くことに繋がります。
ポイントは
①本心を言わないように(本当の本音を言っていると悟られないように)する
⇒発言内容の細部まで意識的にコントロール
②オープンな人間であるよに見せるが相手に真の心の内(弱音や心の穴)をさらけ出さない
③緩急あるギャップを意図的にタイミングを見計らい与えて印象を定めさせない
などがあります。
③は、たとえば
・怖そう/冷たそうに第一印象見せて、実は優しくて紳士で気配りができるとか印象を裏切る
・適当そうに緩~く見せといて、締めるとこで必要以上にキツく締めたり
・適当そうで興味なさそうで何も見てないよ~に見せかけて、実は細部まで目を配っていてポイントで鋭い刺さるコメントを残すとか
そういことを意図的に演出するだけで
相手に気を遣わせることができます。
簡単そうなトリックに見えて、演出される側は意外と簡単にコロっとハマります。
人格や実力の実態は
演出に伴わない人物に対しても、
『あの人はスゴい、器が測れない!』
『実際の実力は知らないけど、きっとスゴい人に違いないよ!』
なんて、いとも簡単に言わせてしまう。
それが『役職』というブランドを伴っていれば尚更・・・。
相手とは常に緊張感をもった関係を維持でき、上下関係がはっきりと白黒つくので、より従順に従い、実力以上の評価を相手が勝手にしてくれるものだから尚更、居心地はよくなり、やりやすくなるというメリットがあります。
このタイプの人間は、コミュニケーションをとることと馴れ合うことの違いを肌で知っています。上司と部下という利害関係の基本構造がある以上、それを片時も忘れてしまうことはありません。
普段は緩く普通にコミュニケーションをとっていても急にガツンとシメたり本質的なグサリと刺さることを言うことで、『どっちが上か』ということを示すキッカケを常に虎視眈々と狙っています。
相手が調子にのってきたな、デカく出るようになったなという頃合いを見計らい絶妙なタイミングでガツンを一発ブチ込む隙を見落とさないことに長ける。
そしてナメられないで済むのです。
でもね・・・
僕個人的な意見ではこの人心掌握のやり方には大きな危険性を伴うと思っています。
このやり方が有利に効くか効かないかは
事業フェーズによると思っています。
この手法のデメリットは、
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★高度なスキルが必要で、ダメな部分や能力の足りなさまたはミスを相手に悟られてしまうと必要以上に相手からの評価を下げてしまい魔法が解けてしまう。つまり「完璧な存在」でい続けなければいけない。
★本当の本音や弱み、上手くいっていないことを身内にはさらけ出すことができなくなる。凹んでる姿なんか見せることは絶対にご法度。
★カリスマ度合にもよるが下の者がビビって距離を置き、本当の本音や対立意見をあげてこなくなる。それらによって孤独を伴うということ。そして致命的な誤りも指摘される機会を無くすということ。
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この「カリスマ的存在」が通じるのは「失敗しない領域」で「多種多様な意見を必要としない既知のものを相手にする仕事環境」であれば機能すると考えます。
一人のカリスマ"管理者"の存在で首尾よく回る事業であるならば・・。
部下を管理する仕事なのであれば理想の上下関係ということです。
だが、未知のものにチャレンジする領域、いわば失敗が成功よりも多くなる環境や、部下を「管理」ではなく、対等な仲間として能力を限界以上まで引き出して共闘しなくてはいけない環境ではこのカリスマ演出方法は邪魔でしかない。
そもそも、カリスマ演出も相当に素質のある人間しかできるものではなく、
ヘタな人間がやっても上手く機能せずむしろマイナス効果が大きいモノ。
「完璧でいるのが難しいな」というならむしろ何でもさらけ出して相手にとっつきやすい、与し易し、と思わせたほうが自分に間違いがあってもミスしても「仕方ないなぁ」と許されたり、「この人は人間臭いしダメだけど助けるかぁ~」と思わせたり部下自身も率直に意見を上げてきやすくするし、そちらのほうが部下の主体性や能力を伸ばすことに繋がったり、と。
「カリスマ性」は実力や人格が生み出すものではなく、演出または主観(情報不足)により生み出される幻想である。ということを今日は覚えておいてくださいね。