『センス』の正体
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今回のテーマは【センスの正体】を探るというテーマ。短編
身の回りにもビジネスシーンにおいて様々な水準(レベル)のアウトプットする人間がおり、その違いを分析したレポートとなります
アウトプットする者、すなわち『送り手』としてのセンス(先天的素質・感性)、ポテンシャルは一体どこに根差すものか?今回それを探る陳腐なテーマであります。
結論から言ってしまえば、
送り手のプロフェッショナルは、
受け手のプロフェッショナルであり、
アマチュア(二流以下)の送り手は
アマチュアの受け手であるという単純にそういう話で、「アタリマエのハナシ」で申し訳ない。お詫びする
アウトプットの質・送り手自身の器を規定するのは、送り手自身が納得のいく水準の高低で、
シンプルに自身がそのアウトプットを受けたとして納得できるか否かのハードル次第なわけです。
自身が受け手として何事においても
他に対して要求するレベル、
納得できるレベル、
我慢できるレベルのハードルが低ければ
そのハードルを超えて質の高いアウトプットをするのは難しいという、そういうことですね。
送り手としてアウトプットが三流なのは「自分に甘い/手を抜いている」からなのではなく自身の受け手としての水準(ハードル)を超えるものを想像し難いからですね。
この素質の有無は、貨幣交換価値として自身が受け取る有形物、無形サービスに厳しい目を持つか否かでハッキリ表れます。仕事もプライベートも関係ありません。
モノの良し悪しの分別に鈍い、すぐに「まぁこんなものだろう」と妥協するのが苦でない従順な受け手は質の高いアウトプットをする人間にはおそらくなり得ないでしょう。
誰でも仕事に対するアウトプットにおいて「自身が受け手だったらどう思うか?」を意識、無意識問わず思い巡らせアウトプットの完成形の独自の水準を決めますが参考になるのはもちろん自身の受け手としての水準。
他からアウトプットの水準の低さを指摘されたとしても感情移入/納得できません。
受け手としてどれだけ感情移入できるか、受け手の立場に憑依できるか否かがマーケティング感覚の有無です。
対して
アウトプットに高い基準を設ける自分に厳しいデキるビジネスマンは総じて何事においても他に対する要求の基準が高い傾向があります。
時にワガママで文句ばかり言い、ダメ出しの天才、ある種 愚痴っぽい。(こんな人の比率高い)
食においても美味い、不味い超こだわる。
サービスや気遣いは勿論のこと、
果てはアプリやサイトの使いやすさ、エンターテイメントの質まで独自の「べき論」を展開したりする。
そこらへん自分の感情に忠実で率直。
仕事もプライベートも支払った等価に相応しい『あるべき姿』『あるべき基準』を満たしていない万物に対する怒りがある。
何が違うのかってきっと、受け手として思考停止してないでちゃんと考えて選んでいるか。無意識じゃないかとかそういうことじゃないかなぁと思います。
受け手のプロは相手にも送り手のプロフェッショナルを求める。
となると当然、仕事に対する基準も高く普通だったら甘えて気付かない細かい点にもこだわり、気付く。気が遣える。
営業しても要点を押さえた営業をし、当然されて嫌なことはしないとか。
サービス・モノ創りにおいてもいい仕事する。
これ、いわゆる『感性』すなわち『センス』であって、ある程度 本人の適正というか特性に紐づいていて、後から伸ばしづらいものかと思う。社会人経験少なくてもある人はあるし、ない人は幾つになっても無い。商才というのか。
この特性無いと気付きが少ないし、伸びしろも少ないから本人のためにも職業考え直したほうがいいかもしれないです。
モノ(送り手の力量/アウトプット自体)の価値を明確に判断できる鑑識眼の精度も、当人が送り手のプロとしての明確な水準があり、想像力がなければいけないと感じます。
=秋元康氏の「ダイヤの原石はダイヤにしか見抜けない」理論w
となれば
仕事においてもまず受け手の身になった立場を想像できないなら話にならないから
当然、受け手を経験することがきっと大事でしょう。
BtoCならばとことん誰よりユーザーとして使ってみる。
BtoBの営業マンならば、できるならなるべく買い手側に立って営業を受ける機会を持って発注側を経験してみる事とか。
重要なのはそのうえで
受け手として『上』と『下』を経験し、その違いを知ること。
上と下を知って初めて何に価値があり、価値がないか知ることができます。
職場も『上』と『下』のレベルの人がどちらもいるほうが勉強になる環境になり得ます。(どちらかに偏ると基準を見失う)
え?自分はどうかって?
残念ながら自分は3流の受け手でセンスはゼロの人間ですけどね(笑)
結論:ワガママは正義ということでした