27歳の人生観

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27歳で白髪頭になるくらい、美談にはならない多種の失敗を積み重ね

常に何かネガティブなライフイベントに巻き込まれて暇なし

そんな生き方をしてきた中で、築いた人生観を改めて振り返ります。

★★★★★★★

 

己を取り巻く環境は「ヒト」、「モノ」、「コト」遅かれ早かれ「移ろうもの」という前提にあり、本質は諸行無常、明日全て失うかもしれないし、明日に何が起きるかは誰にも分からず、当然先の未来も分からない。そして実際に何でも起こり得るのが人生ってヤツです。

 

恋人家族

いかに近かろうと己とは異なる意思を持つ他者という存在であり、思い通りにいくものと愚かな幻想を抱いてはならず、他者である以上 未来の関係に「絶対」などありません

裏切りもあれば、憎むこともあり、損得に支配された利己的行動をとることもあるでしょう。
関係にひび割れ覆水盆に返らずな事態もあるでしょうが、それでも愛があれば最後には他者の意思を尊重してあげましょう・・・

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近かれど他者は他者。絶対などという幻想を抱かずに、何があっても驚かず、過度な期待をせず、依存をせず、コントロールできない以上、あるがままに起きる流れ自体抗わず楽しみましょう。。


友人

相手への過度な期待をすればそれは独りよがりの幻想ともなり、ひいては主観として

裏切られたという捉え方をすることにもなりかねるでしょう。

こちらが相手へ向けた熱量に対し、相手の返す熱量は少ないということも往々にして起き、双方の関係をこちらは「人間同士の繋がり」かと思えば想定外に相手の意図は「損得勘定の繋がり」であったり、と。まぁそういうものです。

 

実際に、「損得勘定を超えた人間同士の情で繋がった関係」「損得勘定で繋がった上辺の友情」はなかなか見分けがつかないものです。
「損得勘定で繋がった仲」は、「利害関係」や「直接的関係」がなくなかれば早々に自然消滅するものです。

その反面、意外や意外、損得勘定を超え、「人間同士の情で繋がった友達」ってのは思っていたよりも多かったりするものです。

そして利害関係がなくても困ってる時には予想外に励ましたり助けてくれたりするものです。 

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総じて、過度な期待や依存をすればときに裏切られますが「期待をし過ぎなければ捨てたもんじゃない」、「いざという時に意外に頼りになり助けになる有り難い存在」それが友達です。

自身も損得勘定や貸し借りの関係ではなく誰にでもすすんで相手の為になるTAKEをすることが大事だと思う次第です


お金

自身も色々重なって口座に50円とか300円とかしか残ってない時期がかなり長くありました。給料日まで残り20日間もあるのにどうしよう…と。

そこは腐ってもサラリーマンでいるぶんにはなんとかなります。1ヶ月くらいお金など無くても死にはしませんし、扶養家族でもいない限りにはお金がないことで特に失うものもありません。

友達がいればなんとか食べていけますし、働いてさえいれば最悪お金も借りれます。
悲観してプライドを擦り減らす必要はありません。

貧しいことで心まで貧しくなったり不幸に感じるかは心の捉え方次第だなと思います。

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最低限の社会的信用と、社会との繋がり、健康体の3つさえあれば、お金がなくても何とかできるし、生きていけます。


他人からの評価

他人からの評価は良くも悪くも

「水モノ」です。
部分的にしか知らずに下した一面的な評価や、評価する人間自身に適切なモノサシがないことが殆んどだったりします。


なので、良くも、悪くも、そこまで真剣に捉え調子に乗ったり落ち込んだりする必要はありません。あくまでただ参考にすればいい情報です。「あー、そういう考え方もあるのか」と。

正直、そこまでアテになるモノサシを持っている人間も滅多におりません。

噂や評判もそうです。大抵が実態とは異なり、人は真偽問わず部分的な二次情報で他人の印象を決めてしまう、いい加減な思考をするものです。

そのように人間の特性は理解し利用はせど、人からどう見られるかばかり意識して
イチイチ他人の評価や、印象に踊らされてしまうのは精神衛生上よくありません。

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先ほども申しました通り、水モノですのでね、ちょっとしたことで良くも悪くも変動しますから。評価は上下せど、実力は上下しないので大丈夫ですよ。


居場所

言うまでもなく人はコミュニティへの「所属」を求め、受け入れられ、「所属している安心感」を得たい生き物です。

男は職場に自分の「居場所」としてのコミュニティを求める傾向があり、コミュニティでの立ち位置をアイデンティティの根城にまでするケースも多くあります。これは他人の評価や目に自身のアイデンティティを丸ごと委ねる訳ですから大変こじらせる危険性が高いです。

大事にすることはいいですが、特定のコミュニティに「依存」したり「固執」することは精神衛生上も良くなく、様々な危険性を孕みます。

 

コミュニティは特定の価値観のモノサシが支配する人間関係で構築されますので評価や人間関係が「水モノ」である以上、立場や立ち位置も上下左右する可能性も大いにあります。
いちいちコミュニティ内での波風に心が脅かされていては精神が持ちません。

なので「近すぎず離れず」の一定の距離をとり、いざという時にはコミュニティを離れるという選択肢も心の片隅に置いておくということも大切になります。
当たり前ですがそうすることで視野が広がります。

なーに、その特定のコミュニティでの評価や立場など長い人生のなかで本当に微小なものですし、悩むのも勿体ないくらいの事です。

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棄てる神あれば拾う神あり。
人間、誰でも必ずすぐ近くに収まる居場所はあります。

人間としての実力があればどこでも居場所は築けます、より良い場所が。


同僚や働く仲間

意外にも、直接的な関わりや利害関係を取っ払えばFacebookでたまに近況を目撃する以外には音信不通になるのが常です。

共通の話題が無くなっても利害関係なくなっても会って楽しめる友人は本当の人生の財産です。それは想像もしていなかった意外な人かもしれません。

 

今のご時世、同僚は上も下も長い時間一緒に働くことはなかなか起きえません。
好きな人も嫌いな人もずっとは横に居てくれません。長くても3年~5年です。

そう考えれば、嫌な同僚と働く日々も儚く見え、きっと大事に思えることでしょう。

 

周りの30人中30人全員の高評価を得れることが素晴らしいビジネスマンかと問われれば、それは違います。
『周り全てから「いい人」という評価を貰える』と思っている、

または『コントロールできている』と感じたなら
それは自身の能力に相応しい十分なチャレンジをしていない(周りと異なる意見表明をして大きい付加価値を提供しようとしていない、踏み込んだ改善をしようとしていない)の証拠でしかない。要は、きっと手を抜いているんですね。

 

同調を止め、踏み込んで仕事をしようとすれば批判はされて当然となり、アプローチを間違えることもあるでしょうし、自分の欠点にもその過程で気付かされます。

「嫌われない上司」「全員から好かれる上司」が良い上司とも思いません。
上司は嫌われてナンボの場面も多く、それも仕事のうち。

もちろん居直るのが良しという訳ではなく、コミュニケーションの伝達手法やアプローチ手法に精一杯の努力はせど、全員から好かれるというのは極めて難しく、目指す必要はないように思います。


どの立場になれど精神の健全さを保つのに天敵となる考え方は、
『自分は完璧に役務をつとめている』『自分はイケている』と自己評価を思い込むこと。これが、心を病ませる病原菌。

他者の意見を受容できなくさせ歪んだバイアスを生み、攻撃的にさせる。

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『己は完璧など程遠く、まだ未熟で成長過程にある』と思ってさえいれば、上下からの批判や痛い指摘も何も怖くはなく、素直に受け入れることができます。

 

 

人生の全ての結果は因果応報。

結果が良ければ運がよかった、
結果が悪ければ、自分の采配が招いた自己責任。

自分の人生のケツ(責任)は自分で負うもの。
誰にも負わさせることはできません。

 

人間関係の本質は、

捨てる神あれば拾う神あり。

必ず自分を必要とする人がおり、必ず収まる居場所はあるし築くことができます。

 

全ての経験は意味があり、この先の人生の肥やしになり、反省に意味はあれど、悩んだり後悔には意味がありません。


人を悪意をもって傷つける、害を被らせるとかでもしない限り、時間と誠意さえあれば自分の努力次第でネガティブな過去は清算できる。自信も取り戻せます。

 

「健康体」「自分の可能性に対する自信」さえ失わなければ人生はなるようになるし、何とかなるものです。

 

以上です!