『カリスマ的上司』の作り方
人格が優れていればカリスマ的になれるのか
実力が優れていればカリスマ的になれるのか
否、それら要素とカリスマはイコールでは結ばれない。そして「カリスマ」であることが「良いこと」とも一概に言えないものです。
皆さんがイメージするカリスマはどんな人ですか?ここで言う「カリスマ」は身近なカリスマをイメージするといいかもしれません。
いませんか?身近にカリスマ性があると言われる人が。
昔に私にも「カリスマ的存在」を演出し維持することに長けたテクニックを持つ上司が二人ほどいました。
さぁこれから『カリスマ的上司』がどんなものか考えてみましょう!
上司となる人間、部下となる人間には
本質に、命令する側、従う側という立場の違いが前提にあります。
「カリスマ的存在でありたいのか」OR
「腹の内も全て見せ何でも話せる信頼し合った対等な関係でありたいのか」
本人の器量次第ではありますが、どういう上司でありたいのか選ぶことができます。
そしてこの「テクニック」というか「心がけ」というのは『ヤクザ』がカリスマ性を子分や堅気に対して演出する際に心がける基本方法と酷似しています。それは・・・
いかに評価を定めさせないか(とらえどころがない)が大事だと心得ることです。
ミステリアスな部分を残し(カリスマの必須条件)、
相手に大してこちらの思考の底を読ませない、
器を見抜かれないようにするということを心得る。
「この人間の本当の本心や思考は読めない」
→「底が知れない」
→「器が測れない」と
そう相手に思わせるように演出することが大事です。
読めないが故に、人心掌握し、対人において上下関係に白黒つけイニシアチブ(主導権)を握る上で有利となる関係を築くことに繋がります。
ポイントは
①本心を言わないように(本当の本音を言っていると悟られないように)する
⇒発言内容の細部まで意識的にコントロール
②オープンな人間であるよに見せるが相手に真の心の内(弱音や心の穴)をさらけ出さない
③緩急あるギャップを意図的にタイミングを見計らい与えて印象を定めさせない
などがあります。
③は、たとえば
・怖そう/冷たそうに第一印象見せて、実は優しくて紳士で気配りができるとか印象を裏切る
・適当そうに緩~く見せといて、締めるとこで必要以上にキツく締めたり
・適当そうで興味なさそうで何も見てないよ~に見せかけて、実は細部まで目を配っていてポイントで鋭い刺さるコメントを残すとか
そういことを意図的に演出するだけで
相手に気を遣わせることができます。
簡単そうなトリックに見えて、演出される側は意外と簡単にコロっとハマります。
人格や実力の実態は
演出に伴わない人物に対しても、
『あの人はスゴい、器が測れない!』
『実際の実力は知らないけど、きっとスゴい人に違いないよ!』
なんて、いとも簡単に言わせてしまう。
それが『役職』というブランドを伴っていれば尚更・・・。
相手とは常に緊張感をもった関係を維持でき、上下関係がはっきりと白黒つくので、より従順に従い、実力以上の評価を相手が勝手にしてくれるものだから尚更、居心地はよくなり、やりやすくなるというメリットがあります。
このタイプの人間は、コミュニケーションをとることと馴れ合うことの違いを肌で知っています。上司と部下という利害関係の基本構造がある以上、それを片時も忘れてしまうことはありません。
普段は緩く普通にコミュニケーションをとっていても急にガツンとシメたり本質的なグサリと刺さることを言うことで、『どっちが上か』ということを示すキッカケを常に虎視眈々と狙っています。
相手が調子にのってきたな、デカく出るようになったなという頃合いを見計らい絶妙なタイミングでガツンを一発ブチ込む隙を見落とさないことに長ける。
そしてナメられないで済むのです。
でもね・・・
僕個人的な意見ではこの人心掌握のやり方には大きな危険性を伴うと思っています。
このやり方が有利に効くか効かないかは
事業フェーズによると思っています。
この手法のデメリットは、
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★高度なスキルが必要で、ダメな部分や能力の足りなさまたはミスを相手に悟られてしまうと必要以上に相手からの評価を下げてしまい魔法が解けてしまう。つまり「完璧な存在」でい続けなければいけない。
★本当の本音や弱み、上手くいっていないことを身内にはさらけ出すことができなくなる。凹んでる姿なんか見せることは絶対にご法度。
★カリスマ度合にもよるが下の者がビビって距離を置き、本当の本音や対立意見をあげてこなくなる。それらによって孤独を伴うということ。そして致命的な誤りも指摘される機会を無くすということ。
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この「カリスマ的存在」が通じるのは「失敗しない領域」で「多種多様な意見を必要としない既知のものを相手にする仕事環境」であれば機能すると考えます。
一人のカリスマ"管理者"の存在で首尾よく回る事業であるならば・・。
部下を管理する仕事なのであれば理想の上下関係ということです。
だが、未知のものにチャレンジする領域、いわば失敗が成功よりも多くなる環境や、部下を「管理」ではなく、対等な仲間として能力を限界以上まで引き出して共闘しなくてはいけない環境ではこのカリスマ演出方法は邪魔でしかない。
そもそも、カリスマ演出も相当に素質のある人間しかできるものではなく、
ヘタな人間がやっても上手く機能せずむしろマイナス効果が大きいモノ。
「完璧でいるのが難しいな」というならむしろ何でもさらけ出して相手にとっつきやすい、与し易し、と思わせたほうが自分に間違いがあってもミスしても「仕方ないなぁ」と許されたり、「この人は人間臭いしダメだけど助けるかぁ~」と思わせたり部下自身も率直に意見を上げてきやすくするし、そちらのほうが部下の主体性や能力を伸ばすことに繋がったり、と。
「カリスマ性」は実力や人格が生み出すものではなく、演出または主観(情報不足)により生み出される幻想である。ということを今日は覚えておいてくださいね。
27歳の人生観
27歳で白髪頭になるくらい、美談にはならない多種の失敗を積み重ね
常に何かネガティブなライフイベントに巻き込まれて暇なし
そんな生き方をしてきた中で、築いた人生観を改めて振り返ります。
★★★★★★★
己を取り巻く環境は「ヒト」、「モノ」、「コト」遅かれ早かれ「移ろうもの」という前提にあり、本質は諸行無常、明日全て失うかもしれないし、明日に何が起きるかは誰にも分からず、当然先の未来も分からない。そして実際に何でも起こり得るのが人生ってヤツです。
■恋人家族
いかに近かろうと己とは異なる意思を持つ他者という存在であり、思い通りにいくものと愚かな幻想を抱いてはならず、他者である以上 未来の関係に「絶対」などありません。
裏切りもあれば、憎むこともあり、損得に支配された利己的行動をとることもあるでしょう。
関係にひび割れ覆水盆に返らずな事態もあるでしょうが、それでも愛があれば最後には他者の意思を尊重してあげましょう・・・
近かれど他者は他者。絶対などという幻想を抱かずに、何があっても驚かず、過度な期待をせず、依存をせず、コントロールできない以上、あるがままに起きる流れ自体抗わず楽しみましょう。。
■友人
相手への過度な期待をすればそれは独りよがりの幻想ともなり、ひいては主観として
「裏切られた」という捉え方をすることにもなりかねるでしょう。
こちらが相手へ向けた熱量に対し、相手の返す熱量は少ないということも往々にして起き、双方の関係をこちらは「人間同士の繋がり」かと思えば想定外に相手の意図は「損得勘定の繋がり」であったり、と。まぁそういうものです。
実際に、「損得勘定を超えた人間同士の情で繋がった関係」と「損得勘定で繋がった上辺の友情」はなかなか見分けがつかないものです。
「損得勘定で繋がった仲」は、「利害関係」や「直接的関係」がなくなかれば早々に自然消滅するものです。
その反面、意外や意外、損得勘定を超え、「人間同士の情で繋がった友達」ってのは思っていたよりも多かったりするものです。
そして利害関係がなくても困ってる時には予想外に励ましたり助けてくれたりするものです。
総じて、過度な期待や依存をすればときに裏切られますが「期待をし過ぎなければ捨てたもんじゃない」、「いざという時に意外に頼りになり助けになる有り難い存在」それが友達です。
自身も損得勘定や貸し借りの関係ではなく誰にでもすすんで相手の為になるTAKEをすることが大事だと思う次第です
■お金
自身も色々重なって口座に50円とか300円とかしか残ってない時期がかなり長くありました。給料日まで残り20日間もあるのにどうしよう…と。
そこは腐ってもサラリーマンでいるぶんにはなんとかなります。1ヶ月くらいお金など無くても死にはしませんし、扶養家族でもいない限りにはお金がないことで特に失うものもありません。
友達がいればなんとか食べていけますし、働いてさえいれば最悪お金も借りれます。
悲観してプライドを擦り減らす必要はありません。
貧しいことで心まで貧しくなったり不幸に感じるかは心の捉え方次第だなと思います。
最低限の社会的信用と、社会との繋がり、健康体の3つさえあれば、お金がなくても何とかできるし、生きていけます。
■他人からの評価
他人からの評価は良くも悪くも
「水モノ」です。
部分的にしか知らずに下した一面的な評価や、評価する人間自身に適切なモノサシがないことが殆んどだったりします。
なので、良くも、悪くも、そこまで真剣に捉え調子に乗ったり落ち込んだりする必要はありません。あくまでただ参考にすればいい情報です。「あー、そういう考え方もあるのか」と。
正直、そこまでアテになるモノサシを持っている人間も滅多におりません。
噂や評判もそうです。大抵が実態とは異なり、人は真偽問わず部分的な二次情報で他人の印象を決めてしまう、いい加減な思考をするものです。
そのように人間の特性は理解し利用はせど、人からどう見られるかばかり意識して
イチイチ他人の評価や、印象に踊らされてしまうのは精神衛生上よくありません。
先ほども申しました通り、水モノですのでね、ちょっとしたことで良くも悪くも変動しますから。評価は上下せど、実力は上下しないので大丈夫ですよ。
■居場所
言うまでもなく人はコミュニティへの「所属」を求め、受け入れられ、「所属している安心感」を得たい生き物です。
男は職場に自分の「居場所」としてのコミュニティを求める傾向があり、コミュニティでの立ち位置をアイデンティティの根城にまでするケースも多くあります。これは他人の評価や目に自身のアイデンティティを丸ごと委ねる訳ですから大変こじらせる危険性が高いです。
大事にすることはいいですが、特定のコミュニティに「依存」したり「固執」することは精神衛生上も良くなく、様々な危険性を孕みます。
コミュニティは特定の価値観のモノサシが支配する人間関係で構築されますので評価や人間関係が「水モノ」である以上、立場や立ち位置も上下左右する可能性も大いにあります。
いちいちコミュニティ内での波風に心が脅かされていては精神が持ちません。
なので「近すぎず離れず」の一定の距離をとり、いざという時にはコミュニティを離れるという選択肢も心の片隅に置いておくということも大切になります。
当たり前ですがそうすることで視野が広がります。
なーに、その特定のコミュニティでの評価や立場など長い人生のなかで本当に微小なものですし、悩むのも勿体ないくらいの事です。
棄てる神あれば拾う神あり。
人間、誰でも必ずすぐ近くに収まる居場所はあります。
人間としての実力があればどこでも居場所は築けます、より良い場所が。
■同僚や働く仲間
意外にも、直接的な関わりや利害関係を取っ払えばFacebookでたまに近況を目撃する以外には音信不通になるのが常です。
共通の話題が無くなっても利害関係なくなっても会って楽しめる友人は本当の人生の財産です。それは想像もしていなかった意外な人かもしれません。
今のご時世、同僚は上も下も長い時間一緒に働くことはなかなか起きえません。
好きな人も嫌いな人もずっとは横に居てくれません。長くても3年~5年です。
そう考えれば、嫌な同僚と働く日々も儚く見え、きっと大事に思えることでしょう。
周りの30人中30人全員の高評価を得れることが素晴らしいビジネスマンかと問われれば、それは違います。
『周り全てから「いい人」という評価を貰える』と思っている、
または『コントロールできている』と感じたなら
それは自身の能力に相応しい十分なチャレンジをしていない(周りと異なる意見表明をして大きい付加価値を提供しようとしていない、踏み込んだ改善をしようとしていない)の証拠でしかない。要は、きっと手を抜いているんですね。
同調を止め、踏み込んで仕事をしようとすれば批判はされて当然となり、アプローチを間違えることもあるでしょうし、自分の欠点にもその過程で気付かされます。
「嫌われない上司」「全員から好かれる上司」が良い上司とも思いません。
上司は嫌われてナンボの場面も多く、それも仕事のうち。
もちろん居直るのが良しという訳ではなく、コミュニケーションの伝達手法やアプローチ手法に精一杯の努力はせど、全員から好かれるというのは極めて難しく、目指す必要はないように思います。
どの立場になれど精神の健全さを保つのに天敵となる考え方は、
『自分は完璧に役務をつとめている』『自分はイケている』と自己評価を思い込むこと。これが、心を病ませる病原菌。
他者の意見を受容できなくさせ歪んだバイアスを生み、攻撃的にさせる。
『己は完璧など程遠く、まだ未熟で成長過程にある』と思ってさえいれば、上下からの批判や痛い指摘も何も怖くはなく、素直に受け入れることができます。
人生の全ての結果は因果応報。
結果が良ければ運がよかった、
結果が悪ければ、自分の采配が招いた自己責任。
自分の人生のケツ(責任)は自分で負うもの。
誰にも負わさせることはできません。
人間関係の本質は、
捨てる神あれば拾う神あり。
必ず自分を必要とする人がおり、必ず収まる居場所はあるし築くことができます。
全ての経験は意味があり、この先の人生の肥やしになり、反省に意味はあれど、悩んだり後悔には意味がありません。
人を悪意をもって傷つける、害を被らせるとかでもしない限り、時間と誠意さえあれば自分の努力次第でネガティブな過去は清算できる。自信も取り戻せます。
「健康体」と「自分の可能性に対する自信」さえ失わなければ人生はなるようになるし、何とかなるものです。
以上です!
パフォーマンスが落ちだす兆し
仕事人の成長の速度は[仕事量]や[労働時間]に規定されず(多少の影響あり)、主には[思考した時間と密度]に規定されるというのが僕が今まで生きてきて学んだコトの一つであります。キャリアの長さや年齢も関係ありません。
[責任ある立場の経験]と同じかそれ以上に大事なファクトだと考えます。
もし成長したい人がいたとして
自身に成長のドライブを掛け続けたいのであれば理想をいえば、平日も1日1時間の『考えるだけの時間』を強制的に作る事を推奨します
その間はスマホも見ず自分一人で考える事だけに集中する時間にしてください
いくら長い時間仕事した気になっても、
賑やかで忙しい過ごし方をしても、
「あれ?俺、成長できてるのかな…?」
「成長カーブ緩やかになってないか?」
「忙しいはずなのになんだろうこのモヤモヤは…この煮え切らなさは…」
「本当に自分は人生において正しい時間の使い方をしてるのだろうか?今やってる仕事は自分の人生のタメになっているだろうか?」
と時に不安になることは誰にでもあります。
これら大抵、
『考える時間』が減ってきている時に起こります。考える時間の不足が引き起こす症状の一つに過ぎません。
一生懸命仕事する時間を増やせば、行動量を増やせば、"頭を使っているか″といえば必ずしもYESでありません。一定以上その仕事に慣れた前提では、思考することでしかその上のステージには成長できないと日頃痛感します。
自身も
『あれ?パフォーマンスが落ちてきたな?』
『あれ?仕事にちょっと飽きてきたな?』
『あれ?先月より成長できてる実感がないな…』
と思ったら忙しさ(業務量)にかまけ日々思考する時間を犠牲にしてたと気づかされるのが大体のパターンです。
目の前の仕事ばっか追って考える時間が犠牲になってれば、日々の満足度は下がり、視野はより狭まっていくものだと常々実感します。。
自分が地図描いて始めたゲームであろうと考える時間が減れば自分がどこにいるのか見失い、本来の目的までも見失います。
あえて設けた思考する時間に考えるべきことは、目の前の業務のことではなく先のこと。
(仕事のことだと仮定すると)主には、
・自分は何のために今この仕事をしてて、目標/目的地はどこを目指しているのか?を改めて整理したり
・そこに至るため今は逆算してどこらへんの位置にいるのか?
・最終目的を軸に考えた際に正しい仕事ができてるか?効率的で最適な選択肢を選んで仕事しているか?
などと自分に質したり
『心の中に棚上げしてしまったモヤモヤを言語化して何が問題なのか把握する』ための時間に使って、経験を法則に昇華または棚卸しする時間としたり
ときに『自分の手の届く範囲を超え、今本質的な課題は何なのか?一番の課題解決の最適ルートは何か?』とか自分に正直に向き合って自問自答するとか
まぁまぁこんなことなんですけど、なかな継続するのは難しいことだと日々悩んでます。
1時間1人で集中して思考することは5~6時間一生懸命に仕事する以上の価値があります。そして心の充足(成長実感)も与えてくれます。
オススメですよ。
彼女に叱られました
もう2年半くらい連れ添っている彼女がおるんですが(周知)
これがまた結構な傑物でして、なんだかんだ器のデカさに惚れこんで付き合ってる訳です。
ビジネスに対するモノの見方、実務力、営業力、企画力、まぁまぁあらゆる点で僕より遥かに高い水準にあるので一方的にいつも自分が教わる身な訳です。
しかしこの人物、周りの人間はよく知っているのですがなかなかの問題も抱えており、なにせ気が強く、暴力をふるうという一面もあり、ケガして出社する度、同僚たちが「別れろ」と説教をするようなこともしょっちゅう。
よくよく説教はされるんですが
今回は特にグサッと刺さったので備忘録までに記録しておこうと思った次第です。
外食からの帰り道・・・・
彼女
おいら
「ウチの会社の『営業』は●●ですごく優秀でさぁ、云々・・」
※一部上場の社員数1,000人以上のWEB業界のプラットフォーム会社
「とはいえ、母数が多いからだろ、優秀な人間は上位2割以下だろ~、俺も行けばきっと上位っしょー」
「キミのレベルじゃウチ来ても上にはなれないんじゃないかね、管理職にはなれるかも怪しいね」
「は?(怒) そんなことないだろ!それは言い過ぎ。俺の力も知らんで云々、、」
(3分経過)
「いや、実際に働いたことないけど、キミのレベルは大体分かるよ。」
「『周りに自分と同じレベルでビジネスの企画や考えとか戦略をぶつけ合って学び合う切磋琢磨できる相手がいない』とか『リスペクトできるレベルのアウトプットできる人がいない』とかそんな低次元なことブツクサ言ってる時点でもう、2流以下のイチ会社員の域を出てないっつーか目線が低くて底が知れるよね。んなもん、
自分で仕事創ってけやいいじゃん。」
「周りがどうこうとか関係ないっしょ、自由に動ける権限あったら何だって自分でどうにかしてやりゃいいじゃん、そんな楽しいに環境で周りがどうこうとか関係ねぇっしょ」
「・・・・。」
「仕事創るって意味わかってる?キミがやってるような絵空事つくった気になってそれをディスカッションしてって、そんなの意味ないからな?仕事を創ってるって言わないからな?仕事した気になってるだけ。ちゃんとゼロからカタチまで何かを作り出して『仕事してる』になるからね。自分そこまでできてんの?」
「てか何人でやってんの? え?そんな少人数なんだろー? そして課題も全部見えてんだろ?どうすりゃいいか計画もあると?へぇー
それが遅れてるとかどーだとかそんなもん周りのドライブがとか環境のせいにしてないでそれくらい自分で全部巻き取って全部どうにかしてやれよ。
そんな少人数でそんな小さな仕事してて結果が出なかったからって周りのせいにできると思ったら大間違いだから。そこまでやって初めて世の中的にちょっと評価されるもんだから。結果に対するこだわりが弱いからウチじゃ通用しないって言ってんの!」
「キミがずっとサラリーマンしてたいんだったらそれでいいよ?周りよりできるって自分を慰めてりゃいいじゃん。
違うんでしょ?目指してるとこ。だったらそんなツマんないこと言ってないで全部自分でどうにかしろよ、手抜いてじゃんねぇーよ。そんなんもできないなら起業したいとか諦めなね?」
「・・・・はい。」
「じゃあ帰りにセブンでハーゲンダッツ買ってね、授業代。」
ふぅ~。。
・・・改めて叱られて肝に銘じたのは
■意思決定に関わる身でジョインする以上、たかが小規模でやってる計画通りに進行しないビジネスに、周りがどうのこうのと自分以外のこと(どうしようもない外部環境以外)にモットモらしいケチや言い訳つけてる時点で、そいつ(今回は僕)は2流以下のサラリーマンでしかない。ということ
■周りがどうのこうの言い訳する前に成果を決める重要な部分が分かってんなら自分で巻き取れ、腹くくって自分でどうにかしろ。
ものによっては調和より結果にこだわれ。
結果にこだわって巻き取って。んでどうにかして、言い訳できる環境をつくることを自分に許すな。
結果出せないときに言い訳できる環境を創ってるってのは自分に対する甘えだから自分は2流以下で大したことないと思え。
・・・そんな訳で2流以下になりたくないので、心を鬼に結果にこだわり全部背負って自分に言い訳できる(他責できる)環境を極力つくらないようにします。。
『センス』の正体
★★★★★
今回のテーマは【センスの正体】を探るというテーマ。短編
身の回りにもビジネスシーンにおいて様々な水準(レベル)のアウトプットする人間がおり、その違いを分析したレポートとなります
アウトプットする者、すなわち『送り手』としてのセンス(先天的素質・感性)、ポテンシャルは一体どこに根差すものか?今回それを探る陳腐なテーマであります。
結論から言ってしまえば、
送り手のプロフェッショナルは、
受け手のプロフェッショナルであり、
アマチュア(二流以下)の送り手は
アマチュアの受け手であるという単純にそういう話で、「アタリマエのハナシ」で申し訳ない。お詫びする
アウトプットの質・送り手自身の器を規定するのは、送り手自身が納得のいく水準の高低で、
シンプルに自身がそのアウトプットを受けたとして納得できるか否かのハードル次第なわけです。
自身が受け手として何事においても
他に対して要求するレベル、
納得できるレベル、
我慢できるレベルのハードルが低ければ
そのハードルを超えて質の高いアウトプットをするのは難しいという、そういうことですね。
送り手としてアウトプットが三流なのは「自分に甘い/手を抜いている」からなのではなく自身の受け手としての水準(ハードル)を超えるものを想像し難いからですね。
この素質の有無は、貨幣交換価値として自身が受け取る有形物、無形サービスに厳しい目を持つか否かでハッキリ表れます。仕事もプライベートも関係ありません。
モノの良し悪しの分別に鈍い、すぐに「まぁこんなものだろう」と妥協するのが苦でない従順な受け手は質の高いアウトプットをする人間にはおそらくなり得ないでしょう。
誰でも仕事に対するアウトプットにおいて「自身が受け手だったらどう思うか?」を意識、無意識問わず思い巡らせアウトプットの完成形の独自の水準を決めますが参考になるのはもちろん自身の受け手としての水準。
他からアウトプットの水準の低さを指摘されたとしても感情移入/納得できません。
受け手としてどれだけ感情移入できるか、受け手の立場に憑依できるか否かがマーケティング感覚の有無です。
対して
アウトプットに高い基準を設ける自分に厳しいデキるビジネスマンは総じて何事においても他に対する要求の基準が高い傾向があります。
時にワガママで文句ばかり言い、ダメ出しの天才、ある種 愚痴っぽい。(こんな人の比率高い)
食においても美味い、不味い超こだわる。
サービスや気遣いは勿論のこと、
果てはアプリやサイトの使いやすさ、エンターテイメントの質まで独自の「べき論」を展開したりする。
そこらへん自分の感情に忠実で率直。
仕事もプライベートも支払った等価に相応しい『あるべき姿』『あるべき基準』を満たしていない万物に対する怒りがある。
何が違うのかってきっと、受け手として思考停止してないでちゃんと考えて選んでいるか。無意識じゃないかとかそういうことじゃないかなぁと思います。
受け手のプロは相手にも送り手のプロフェッショナルを求める。
となると当然、仕事に対する基準も高く普通だったら甘えて気付かない細かい点にもこだわり、気付く。気が遣える。
営業しても要点を押さえた営業をし、当然されて嫌なことはしないとか。
サービス・モノ創りにおいてもいい仕事する。
これ、いわゆる『感性』すなわち『センス』であって、ある程度 本人の適正というか特性に紐づいていて、後から伸ばしづらいものかと思う。社会人経験少なくてもある人はあるし、ない人は幾つになっても無い。商才というのか。
この特性無いと気付きが少ないし、伸びしろも少ないから本人のためにも職業考え直したほうがいいかもしれないです。
モノ(送り手の力量/アウトプット自体)の価値を明確に判断できる鑑識眼の精度も、当人が送り手のプロとしての明確な水準があり、想像力がなければいけないと感じます。
=秋元康氏の「ダイヤの原石はダイヤにしか見抜けない」理論w
となれば
仕事においてもまず受け手の身になった立場を想像できないなら話にならないから
当然、受け手を経験することがきっと大事でしょう。
BtoCならばとことん誰よりユーザーとして使ってみる。
BtoBの営業マンならば、できるならなるべく買い手側に立って営業を受ける機会を持って発注側を経験してみる事とか。
重要なのはそのうえで
受け手として『上』と『下』を経験し、その違いを知ること。
上と下を知って初めて何に価値があり、価値がないか知ることができます。
職場も『上』と『下』のレベルの人がどちらもいるほうが勉強になる環境になり得ます。(どちらかに偏ると基準を見失う)
え?自分はどうかって?
残念ながら自分は3流の受け手でセンスはゼロの人間ですけどね(笑)
結論:ワガママは正義ということでした
事業参入の『譲れない原理原則』
★★★★★★★★
どうも、今日も記事を見ていただきありがとうございます!!
ネット広告領域の新規事業に関わらず、異なる業界の社内ベンチャーとしてもある程度あてはまる、『新規事業を取り組むなら押さえるべき原則』について、あくまで主観でありますが今回触れています。
最初から少しだけ、
手前味噌な話から始まりますがどうか許してください
現在のようなネット広告代理店という領域で今後、腰を据えて働くと仮定した際に『この領域でのみ働く』という決め事が自身に明確にあり
2つほどありますが、その他ドメインで働く気は今後一切ありません。
営業も不得手でないでしょうが、単騎としてその領域のパフォーマンスにコミットするは気もなく、
新しくて面白い広告をプランニングをするというプランナー領域においても不得手でないでしょうがそこまでの情熱もなく、
マネージメントのような管理業務においてもより素質のある人は多いのでバリューも限定的でしょう。
誰でもが腰を据え取り組めばやれてしまうようなことをやっても自身にとっては何のバリューも意味もありません。
頭を使わなくても9割出来てしまう、
いわゆる"オートマティックモード"で出来てしまう惰性の仕事。
去年も一昨年も昨日も踏み固めた道を、
来年も再来年も明日も永遠と往復して踏み固めるだけの仕事。
何の魅力も刺激も感じない、となると
きっとネット広告代理店の営業マン/プランナーには不向きなのかもしれません
もし今後本気で取り組むと仮定するなら
1つは、
組織にとって意義の大きな難易度の高い課題を解決するミッションに取り組むケース。
より難解で意義のある課題に取り組むことのみが仕事における唯一感じられる極上のエクスタシーという変態気質とくれば、そんな難題の解決に完全に自己責任で結果にコミットする、そんな領域であれば喜んで全身全霊を捧げたい
(前置きがこんなんで、御免なさい・・・)
本題。
2つめは、
新規事業開発~
軌道に乗せるコト
ただし、これも前提として条件がつきです。
ネット広告の会社が新規事業というと
"プロダクトの立ち上げ"か
"アナログの労働力を特定のカタチでパッケージングする"ものになるケースが多いですが、重要視する譲れない条件が幾つかあります。
★勝てる可能性のある事業か?
★取り組む本人にとって意義のある(面白いと感じる)事業か?
です。
「勝てるか、負けるか?」
その戦いは開戦前(動き出す前)に一定の確率で想定がつきます。
少なくとも勝てる算段がなければ取り組んじゃダメです、ホントに。。
事前に基礎的なシミュレーション/計算を怠ってエイヤー!で投資して動き出すものがどこの会社の新規事業にも多すぎるように思えます。
『勝つ』とは、
その市場で独占的な立ち位置に上り詰めるか
その市場で追随不可の独自の立ち位置に上り詰めるか、のどちらかです。
そもそも勝つ気があんの?というものは多いし、この先のどう考えても泥仕合化するけどちゃんとそれ見据えての?というのも多いです
開戦前に勝てる戦略(ビジョン)がなければ始めてもほぼ失敗します。
(『たまたま』成功するものも少しはあるでしょう)
勝つための重要な幾つかのチェックポイント奪取を目印に、奪取失敗したとして軌道修正不可なら潔い撤退のライン設定も開始前には当然必要でしょう。
その事業の『種』は他社が気付いていない独自のチャンスを見つけているという強い思い込みから発するパッションでしょうが、それも必ず現場の現場、お客さんの抱えている課題や悩みから着想しなくてはいけません。
それが昨今行われていない事象を多く目にします。
『現場』を大事にしない、重要視しないで社内の政治事やマネージメントにばかりに気を取られている人間は幾ら役職が偉かろうと、その言葉やアドバイスは何の役にも立たないケースは非常に多いです。
マーケッターをやるなら、
有効なアイディアを考えるつもりなら、
新規事業をやるなら、現場離れちゃダメ。
『現場を大事にする』とはお客さんとの接点を常に持ち、お客さんの声ができるだけ多く聴ける最前線に接点を持つということ。
自身が最前線に立たなくともいかに生の声を集められるように情報を汲み上げる工夫をしてるとか常にアンテナ張ってないとダメ。
『答え』は決してマーケジンやITメディアに載ってないから。
でないと『マーケット感覚』なんてすぐに無くなるよ。
有効な『実に活かせるアイディア』発想するには誰より現場知ってないと無理。
だから現場から離れた頭のいいだけのマーケッターは卓上の計算ばかりで実を伴わない。
当たり前だが『何が流行っているか?』のトレンド勉強会するんじゃなくて、『何故それは流行っているのか?なんでそれが必要とされるようになってきたのか?』を考えよう。
その多くの顧客の悩みの行く末を考えて『この先の流れ』を見出そう。
そんな軸でちゃんと勉強会でもやれば次に来るトレンドはぼんやり見えるし、自分たちが先駆けて投資すべき勝負ドコロも見えてくる。
お高いキャリア風の頭良さそうな外資系だったりの企業発のプロダクトや、広告畑発じゃない技術一辺倒の技術出発点の新鋭ベンチャーのプロダクトが、ブランディングが上手いもののどれもイマイチに感じる(お客の課題感に疎い感じ)のは、エンドクライアントとの接点が少ないからだろう。
さて少し話が逸れたが
事業で新規参入をするなら贅沢は言えないが、せめて以下ぐらいはマストで必要。
■最初の時点で『勝つ(生き残れる)』ポジショニングを見出しているか、そしてそれは他社がおそらくまだ気付いていないものであり、その勝つためのロードマップにおけるチェックポイント達成の可能性が見込めるものか。
■技術力はあればあるだけいいが最低限、一般的(業界標準)な質レベルと人員の開発リソース使用が許されるか
■メンバーのマジョリティ(半分以上)はスペックはさておき、目標達成に必要な仕事を自主的に見つけて主体的に動けるメンバーか
(言われてからしか判断して動けない人間が半分以上ではアウト)
■見据えた先のビジョン(完成形)において、そこでは広大な市場が広がっているか(少なくとも第二、第三の収益源事業となる可能性があるか、小銭集めには意味がない)
■バックアップする企業に、少なくとも勝負ドコロではガッツリ資源を投資する粋さと覚悟があるか
そして追加で大事なコトが以下。
(むしろここから本題!)
発展性のある事業か?(面白いか?)には以下が大切。
その商売の勝敗を決するコアポイント(核)へのアプローチが多岐多様にわたるものか?だ。
"勝敗を決する核(コア)"とは
『このポイントをいかに高次元で達成するか』で相対的に競合に勝つか負けるか決まる、お客さんにとって価値あるサービスとして認められるかどうかの一番重要な勝負ドコロを指す。
よくある営業マンの教本の例として用いられる[ドリルを買いに来たお客さん]と、[ドリルを売る営業マン]の話があるが(説明省略)
要するにお客さんが欲しいのはドリルという『カタチ』ではなく
実は【穴を空ける何かしらの機能】を何か欲しがっていたというお話ですね。
このドリルというモノ(サービスでもいい)に求められているのは、『穴を空ける』という役割なわけです。これをドリルのキー・ファンクションといいます。
『カタチ』(サービス自体やモノの機能)とは、お客さんの目線で目的を達成する、課題を解決する手段・役割(ファンクション)として表れた(具現化した)ものに過ぎません。
全ての有形のモノや無形のサービスも商売として提供されているものは、
キーファンクション(メインの役割)と
それらを支えるファンクション(付加価値)が幾つかの、複合で構成されています。
なんかいい例が出せないかな…。
たとえば「扇風機」!
これのキーファンクションは
「人を風で冷やすこと」ですね。
その他付加化価値(ファンクション)として「首を振って部屋中に送風する」とか「電気代を抑える省エネ」とか「風量自動調整」とか考えられます。
扇風機というカタチに縛られている以上、解釈の余地が限られており、すごくキーファンクションがシンプルですよね。
これは発展性の余地が少なく、面白くない。
つまらない。
発展したとしてもダイソンの羽のない扇風機とか顧客にとってどうでもいいイノベーションに限られてしまう。
この前、愕然としたのが渋谷のスクランブル交差点を歩いていた時の事。
大型ディスプレイ広告も街中の大きな公共広告もこんな広告をドーンとうち出していました。
オイオイ、と。かなり苦しくないか…?と。
「テレビ」というカタチにガチガチに縛られて事業をしなくてはいけない限り、もはやイノベーションの余地が残されていない典型例のように感じ哀しくなりました。
この程度のコトをイノベーションだ!と多額の広告費を投入して勝負しなくてはいけないマーケッターの心中を思いやられる。
このように『型』が決まりきっていてキーファンクションがシンプルで分かりやすく発展性の余地の少ないものはやりたくない。
アドネットワークなどもそうだ。
こんなのもやりたくない。
勝負の仕方(キーファンクション達成へのアプローチ)が限られており、
イノベーションの余地が少なければ流れの先は根性勝負か体力勝負になりやすい。
そもそも初めから体力だけの勝負になるであろう辛い戦争など始めたくはない。
=差別化の乏しい過当競争地獄
キーファンクションの質が技術力勝負になる戦争もしたくない。(勝てる気しないから)
要するに僕は、キーファンクションが複数あることが大事だと考える。
たとえばカフェ。
カフェには[大カテゴリーに分類されるファンクション]が『美味しい飲み物が飲める』『リラックスできる空間を提供する』『小腹が減ったらおしゃれで美味しいご飯が食べれる』etcなどのように顧客にとって主要目的が幾つか分かれている。
これらの大カテゴリーに応じて突き詰めて他社と変えていけば差別化が可能になる。
要するに何でもそうだが、その比較的主要なファンクション(パーツ)における違いが企業ごとの色の違いになっている。
※小カテゴリーのファンクションの違いでは差別化しているとは言い切れない
このように構成する主要ファンクションが多いサービスやモノは、解釈の幅が残されており、まだまだ発展性(イノベーション)の余地があり、カタチとして決まりきっていないため独自のカタチを描け、独占的・独自のポジショニングをする余地があるということだ。
ファンクションの数に応じて付加価値をつけやすい。
そのサービスのキーファンクション達成へのアプローチが幾つもあり、イノベーションしやすく、創造性が活かしやすい。だから面白い!!
だからこれを僕は自分が取り組むうえでの独自の条件に設定している。
しかし、しばらくネット広告のプロダクト領域においてそんなチャンスが転がっているものはもう暫くないだろう。そんな事業の立ち上げに関与できるのであれば、まだこの業界で残ってやってみたいと思う。
ビジネスにおける『頭がいい』ということ
今回はビジネスシーンにおける
『頭の良さ』とは何か
を考えてみるというテーマです。
なかなか畏れ多いテーマです。
IQや学力といったものでは言い表せるものでもありません。
そしてハッキリと要素分解できている人は上のレイヤーの人間にも少ない印象です。
自身もいい歳になり、社会人になってからそれなりの人の数に接し、頭のいい/頭の悪い、上司、同僚、後輩、色々とデータを貯め冷静に分析し、そして自分自身も省みて定性的に個人的解釈をまとめてみたという内容です。
引用なし、経験から出た自分の解釈です。
「頭のよさ」にもいっぱい種類はあります。
対人における自身の立ち位置を相対的に客観視して、身の振り方を合理的にコントロールできるとか、"対人状況判断能力"とでもいうのか、そういう生き上手なのもある種の頭の良さとも言えるし、「記憶力」なんてもあります。
確かにビジネスシーンにおいてこれらは有効です。たしかに重要ではあるものの飛び抜けたビジネスマンになるためには必須と思ってません。
一般的に「頭の良さ」というと
これを指す言葉として
『頭の回転が速い』などという表現が用いられます。
・理解のスピードが速いとか
・その場で的確に返答ができるとか(機転が効く)
・瞬間的な状況判断力とか
筋肉でいえば『瞬発力』のイメージです。
入ってきた情報に対して
立体的に整理整頓したり、
比較・分析して推察する
そんな能力。
クイズに強いとか、クロスパズルが得意とか、こちらの能力に属すものかと思います。
基本処理能力、
地頭の良さ、
メモリキャパが大きいとか
いわゆる素質としてスペックの高い人ですね。
先天的なモノでなかなか努力で解決しません。
こんな人は器用なので、どこでも必要とされ活躍ができます。
高学歴だとこんな人が一定割合います。学術定義だと「形式的操作能力」というようです。
ここが優れてると一般の人も「この人頭のいい人だ!」とすぐ分かります。
いつでも情報に溢れ複雑怪奇で答えのないビジネスシーンにおいてはもう一つ、
「頭の回転」と同じかそれ以上に重要な要素があります。「抽象化」です。
ここが弱いと「頭の回転が速い」人もただの要領のいいだけのビジネスマンになる可能性が高いです。
■物事をシンプルに捉えられる人
■常識に縛られない創造的かつ有効なアイディアに溢れている人
■難しい提案や入り組んだ問題を解決する、交渉力など突破力のある人
■説明が分かり易い人
このような能力は抽象化の能力が根源にあります。
「抽象化」の能力は先天的頭の良さ(センス?)が半分、後天的な努力が半分と考えています。そして「頭の回転」と違いこの素質は周りには気付かれづらいです。
抽象化能力とは、
「要点を読み解く力(=本質を見抜く)」
を指します。
複雑に入り乱れ幾重にも重なった情報の塊から、不要な不純物を削ぎ落とし、これ以上削りようがないというくらい一番シンプルなカタチに整形する能力であり、
情報をシンプルな"本質"に整形できるから、規則性なく散らばった「情報」という単体では意味を見いだせない「点」と「点」を、簡易化して頭の中に収納できるため、相似点、相違点をパターン化でき、「線」として繋げその関係性を読み解くことができる能力です。
※上記でいう情報は「経験」とも入れ替え可
『帰納的推論』が得意ともいえます。
「帰納的推論」とは、
具体的個別の情報や体験を幾つか自身にインプットすることで『一般的な結論』などを導き出す思考能力です。
簡単に言えば少ない経験量でコツを掴む、本質を掴んで再現できる能力です。
たとえば、
何度か同じような経験をしたとして、抽象化能力の弱い人はそれらをグループ化できないのに対し、抽象化に強い人はすぐにグループ化します。
そのため別のジャンルやまったく違うところなどで少し似た事象が発生しても、自分の経験を活用し今後起こり得るパターンが読めたりします。
別のたとえでは、
「この業界のプレイヤーについて整理しておいてくれ」と上司から依頼された時に、抽象化能力の弱い人は機能や枝葉の情報を並べチャートを作りがちなのに対し、抽象化が強い人は商売の本当の競争力となっているコアや重要な要素でチャートを作れます。
普通では点にしか見えないものを線として繋げカタチを描けるからそこにある「意味」を読み解けますから同じものを見ても見えるものが違います。
インプットの質においても
「抽象化」能力が弱いAさんが本を10冊読書しても「抽象化」が強いBさんが読んだ1冊に敵いません。残念ながらAさんはほとんど身になりません。
この「抽象化」はビジネスマンにとって大事な「仮説力」に密接に紐づいています。
「仮説」とは限られた情報の中から要点を抽出/分解して整理して初めて導き出されるものだからです。
「抽象化ができる」ということはたとえば、
お客さんAが◯◯を要求してきている、として
(◯◯は誠意でも条件交渉でもお金でも工数負担でもなんでもいい)
いらない情報をシンプルに削ぎ落として
お客さんAは「要は、◯◯とは言っているが本当は△△が欲しい」という真意を見抜けるということです。
「お客さんAが△△が欲しいというのであれば、こちらが痛みを伴わない××で代替可能なんじゃないか?」と、このように演繹的に物事を考えることも可能になるため代案が次々に浮かびます。
「あちらがこちらへ期待しているコト
「敵が使っているカード」
「こちらのリソースから切れるカード」
などなどのようにシンプルに整理整頓できるので処置が早く的確で、勝率は高くなります。
もちろん問題解決力は飛躍します。
あらゆる問題解決は大体こんなところです。
「交渉を上手くまとめる」能力もここに帰結します。
「難しい提案をお客さんにしたい!」という時になり情報も揃ってない中で不完全な状況のなかで素早く手元にある情報を要件整理をして答えを絞り込むとか、
ユーザーが何を求めているか推測し、我々はこんな機能を実装すべきなんじゃないか?と的確に良い発想できるのもここに関係します。
この演繹を起源とした発想力と物事をシンプルに本質化できる能力は合わさってビジネスにおける有効で創造的なアイディアを発想する根源にもなります。
※ビジネスで創造的であるということは芸術の創造性と異なります
ザックリ言うと、
・顧客が本当に何を求めているか本質をピックアップして整理
・競合は何を価値として提供しているのか、その本質を捉え
・まだ満たされていない顧客の求めている要素は何かを考え
・そのニーズを満たせる方法を幾パターンも出す
概要は単純にこういうことだからです。
何度も書いていますように、
「抽象化」とは複雑な情報をシンプルに本質だけ抽出わけですが
重要でない些末な情報を捨てるその取捨選択において何を重視すべきか重視すべきでないかの『判断機軸』を見失わずに持っている必要があります。
それでないと何が『枝葉の情報』で何が『幹となる情報』なのか区別がつかなくなります。
「ビジネスシーンにおける判断機軸」は比較的シンプル故に、しっかりとしたこの判断機軸さえ己の中で築ければ、鍛えれば誰でもある程度ビジネスの抽象化能力は向上するのではないかと考えます。
ビジネスにおいて
創造的な仕事も、
問題解決の仕事も
『判断機軸』の大体は以下です。
「相手が本当は何を言いたいのか」
「相手は何を求めているのか、必要としているのか」(顧客、相対する人間、ユーザー問わず)
シンプルにここを整形し、原点として判断機軸にすればそんなに誤った判断をすることは少ないはずです。
特にビジネス(商売)は、ほぼ例外なく
相手あって、相手のニーズやウォンツを満たすという目的のためにあるので一番の目的、原点は「相手が何が欲しいのか、必要としているのか」ということであり、そこをシンプルに、シンプルに研ぎ澄まし、些末な情報を削りとってくのがもっとも間違わない判断機軸なのかと。
なんだか私からですと少々眉唾モノですが。笑。
判断機軸を常にもって思考するには常に
「目的」を意識することが必要で、
判断機軸を確立し
目的から逆算して考えること、
そうすれば「顧客やユーザーにとって何が重要なのか?」のプライオリティも的確につけられるようになります。
つまり抽象化能力が強いということは
・パターン化が強い
・時に「与えられた前提」や「状況従属的思考」に反して複雑な情報からシンプルに本質を見抜ける
・難易度の高い危機的状況の回避に対する問題解決力がある
・創造的な何かを作り出す仕事に強い
・難易度の高い提案を求められる営業に強い
・説明が上手い
などの特徴があるということでした。
『頭の良さ』にも普段感じる『頭のキレ(形式的操作)』的な生来のスペックだけではなく 『抽象化』という要素があることをどうぞ今後意識してみてくださーい。